忘れてはいけない「負の歴史」トゥール・スレン虐殺博物館

トゥール・スレン虐殺博物館のゲート

カンボジアには、アンコールワットなどの魅力的な世界遺産や観光名所が多くあり、今は街の様子も賑わっている場所が数多くあります。楽しい場所のみだけを紹介するのもいいのですが、忘れてはいけない人間による負の歴史もあります。今回は、カンボジアのそんな歴史を象徴する場所の一つでもあるトゥール・スレン虐殺博物館について紹介していきます。

目次

住宅街の一角にある施設

トゥール・スレン虐殺博物館

プノンペン市内のホテルからトゥクトゥクで10分ほど、何の変哲もない住宅街の一角に、その施設はあります。外観は学校のような古びた建物。ここはもともと高校だった場所です。現在は「トゥール・スレン虐殺博物館」として一般公開されていますが、1975年から1979年のポル・ポト政権時代には「S-21」と呼ばれる政治犯収容所でした。訪れる前に事前に概要は知っていましたが、実際にその場に立つと空気が違います。入り口でチケットを購入し、音声ガイドを借りて入場。ガイドは日本語もあり、流れに沿って敷地内を巡る形式です。私が行った際は観光客は、それほど多くはありませんでした。

ポル・ポトの理想が作った地獄

「Kampuchea Democratic’s Leaders(民主カンプチアの指導者たち)」

博物館の説明やガイドによると、ポル・ポトは「完全な平等社会」を目指して都市の機能をすべて排除しました。学校、病院、通貨、宗教などは否定され、国民全員が農村で労働する社会が構想されました。結果的にその社会実験は、国民の大量死をもたらします。反抗や思想の違いを持つ者はすべて排除の対象となり、それを実行する場がS-21だったわけです。特定の思想が支配したとき、どれほど暴力的になりうるか、その極端な実例がこの施設に凝縮されていました。施設内には、当時の規則文書や通報記録、尋問記録も展示されており、ポル・ポト政権がどれほど計画的に粛清を進めていたかが分かります。展示物から、社会制度が極端に歪むとここまで人間の命が軽くなるのかと、歴史の重みを痛感しました。

学校が収容施設へ

Tuol Sleng Genocide MuseumM2

校舎の一階部分。元教室だった部屋には、ベッドフレームのような鉄製の拷問台と、足枷、鎖、そして壁には拷問直後の写真の展示もあります。説明がなくても何が起きていたかが伝わってきます。ポル・ポト政権は、知識人や都市出身者、宗教関係者を"国家の敵"とみなし、逮捕・収容しました。信じがたいことに、メガネをかけているだけで知識人と判断され、処刑された例もあったそうです。音声ガイドから聞こえる証言は淡々としていますが、内容は衝撃的です。部屋の作りは学校そのままで、黒板の枠が残っている教室もあり、教育の場が暴力の場へと変わった事実に寒気を覚えます。

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繰り返してはいけない歴史

Tuol Sleng Genocide MuseumM5

別棟には、顔写真が壁一面に並ぶ展示室があります。すべてこの施設に収容されていた人々のもの。番号札を持たされ、真正面を見つめる写真の数々。小さな子どもや、年配の女性、若い男性など、様々な表情が並びます。多くはその後処刑されたとされています。この写真の空間は特に静かで、誰もが言葉を発さずに見入っていました。ここでは「数の悲劇」ではなく「ひとりひとりの悲劇」として、現実が迫ってきます。私は1枚1枚の顔から、名も知らないその人たちの人生を想像してしまいました。歴史資料ではありますが、これは決して過去の話ではなく、人間の行動として学ばなければならないことだと強く感じました。繰り返されることはあってはならないことです。

中庭に設けられた墓地と慰霊碑

トゥール・スレン虐殺博物館の慰霊の石像

中庭に設けられた墓地と慰霊碑があります。ここには収容所内で命を落とした人々の一部が埋葬されており、白い墓標が整然と並んでいます。訪問者は皆静かに足を止め、花を供えたり手を合わせたりしていました。特に印象的だったのは、墓地の周囲が立ち入り禁止になっていて、「見せる」ではなく「守る」ための空間になっていたこと。こうした配慮からも、この施設が単なる展示ではなく、記憶を大切にする場所であることが伝わってきました。また、ベンチに座って音声ガイドを聞きながら、改めてこの空間の意味を考える時間もありました。資料や展示で知識を得るだけでなく、「ここに立ったこと」が記憶として残る場所です。

時代の証拠を保存し、後の平和のために

トゥール・スレン虐殺博物館の慰霊碑

ポル・ポトがカンボジアを統治するようになった1975年から1979年にかけての3年8か月と20日の間、この場所は12,000人から20,000人程の人が拘留、尋問、拷問され、そして殺害のための秘密施設として利用されていました。S-21が開放された際に生き残った元囚人はわずか12名で、そのうち4名は子供でした。「トゥールトゥール・スレン虐殺博物館は、カンボジア史における悲劇的な時代の証拠を保存し、訪れる人々が平和の使者となることを奨励しています。」といった内容が博物館からのメッセージとしてありました。

【トゥール・スレン虐殺博物館】

住所:St 113, Phnom Penh 12304

営業時間:8時~17時

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